【特別寄稿】

TVドラマ『知らなくていいコト』と『エデンの東』

 

                                                                        鈴江 璋子(実践女子大学名誉教授)

 2020年1月5日に中垣事務局長からメールがあり、日本テレビ系列で1月8日(水)午後10時からテレビドラマ『知らなくていいコト』がスタートするが、主演女優、吉高由里子さんが演じる真壁ケイトという人物は『エデンの東』(以下EEと略)に由来する設定のようだ、と知らせてくださった。そして2019年の12月末に、20代のアシスタントディレクターが研究室を来訪され、中垣先生が1時間ほどEE、特にキャシー/ケイトの人物像について話をされたこと、参考文献もご紹介になったこと、製作はかなりタイトなスケジュールで、1月8日放映の撮影収録日は12月25日であったことなども記されてあった。真壁ケイトは週刊誌の記者であり、特にEEと強い関係があるわけではなくて、背景にすぎないようなのだが、「そのような細かい背景の確認のために取材をしようとする姿勢に関して好感を抱きました……脚本家の方の動機などをうかがったわけではありませんので、なぜ今、『エデンの東』を一部とはいえモチーフに、ということなどもわからないのですが、私個人としましては、このような形であっても文学作品に関心を持ってもらえるのは結構なことだと思っています」と結ばれていた。

 面白そうだと、読書会のメンバーにも知らせ、私は全10話にわたって『知らなくていいコト』を視聴したのだが、実際、非常に面白かった。一見週刊誌の世界の物語でEEとは関係なさそうなのだが、いや、そうではない。まず主人公真壁ケイトが記者として働いている週刊誌は『週刊イースト』なのだ。さらに<肖像写真><毒><プレゼントを燃やす>などEEのモチーフが捻られ、リユースされて散在している。そしてEEの主題であるfather and son theme――<父>という絶対的存在、父による子の選別――愛される子と拒否される子――父の承認と愛を求める子、父と子との絶対的愛と信頼などのテーマが、意外なまでにしっかりドラマの根幹をなしている。脚本は大石静。なるほど、しっかりしているはずなのだ。


知らなくていいコト

 ケイトの母親、真壁杏南はシングルマザーで、映画字幕翻訳家として活躍中だったが、開幕早々、心筋梗塞で倒れ、娘ケイトに「あなたの父親は、ハリウッドの俳優よ」と有名な俳優の名を告げて亡くなる。葬式写真には、ケイトの元カレである写真家、尾高由一郎(柄本祐・好演)が撮った、杏南の横顔の肖像写真が使われた。

 天涯孤独となった真壁ケイト(吉高由里子・好演)。初めて父として聞かされたハリウッド俳優の名に驚く。しかし証拠がない上に、ケイトの顔にも体格にも西欧的なDNAはなさそうである。逆にもう一つの可能性――無差別殺人の罪で26年間服役し、現在は海辺の村でひっそり暮らしている乃十阿徹(not at all)が父親である可能性が浮上してくる。乃十阿は元大学教授で、スタインベック学者であり、杏南は学生時代に乃十阿教授の指導のもとに、EEで卒論を書いている。ケイトは母の卒論ノートに結婚指輪が留め付けてあるのに気づき、それが乃十阿から杏南に送られたものであると知る。

 乃十阿と杏南の間には愛が芽生えていたのだが、現実になったのは卒業後20年を経た1990年代のことで、その時すでに、乃十阿には妻子があった。不倫の愛の状態で杏南は妊娠するが、間もなく乃十阿は殺人犯として収監される事態となる。杏南は乃十阿との関係を解消し、生まれた娘ケイトをひとりで育てる。父の名を告げなかったのは、ケイトに殺人犯の娘という汚名を着せたくなかったからだろう。しかしケイトは自分の父親は誰なのか、知りたい。


妻==|====乃十阿徹~~~~~~~|~~~真壁杏南~~~ハリウッド俳優

          |   (not at all)     |

          |<アダム・トラスク>     |

        長男       野中春樹~~真壁ケイト~~尾高由一郎==妻

  <アロン>*****************<キャル>* <アダム>|<キャシー/ケイト>

                      *     長男

                                                 *<アロン>



父を求める子

 年始休暇に、ケイトは独りで寒風吹きすさぶ海辺の村に乃十阿を訪れ、真壁杏南の娘ケイトと名乗るが、乃十阿は全く受け付けず、ホースで冷水を浴びせる。傷つき、寒さに震える<父に拒まれた子>ケイトを抱きかかえたのは写真家の尾高由一郎だった。尾高は強風の一日、まだ赤ん坊の息子と凧揚げをして遊んでやったのだが、ケイトを案じてこの村に来ていた。尾高も、乃十阿からホースの冷水を浴びせられた経験がある。尾高は刑期を終えて出所した時の乃十阿の写真を撮っていて、当時の『週刊イースト』紙面を飾ったのだった。

 やがて乃十阿に関して、実は殺人に係わっていないのではないか、という情報がもたらされる。彼はキャンプ場の共同の飲料タンクにハリヒメソウという毒草を入れて、無差別殺人を行なった罪に問われたのだが、当時の国選弁護人は、乃十阿は誰かを庇って罪を被ったような印象を受けた、と言うのだ。さらに乃十阿の妻がハーブティーを淹れるのを手伝う3歳くらいの幼児を見て、もしかしてその幼い息子が、そのあたりに生えていた毒草を飲料タンクに入れたのではないかと感じた、とも言う。「子供を庇ったんですか……」と尾高は呟く。


贈り物を焼く

 乃十阿徹がためらいもなく自分が無差別殺人の犯人だと自白したのは、それが幼い息子の仕業と悟ったからではないのか。編集長(佐々木蔵之介・好演)はこの真相を探って、手記を書くようにと、ケイトに命じる。乃十阿が生涯をかけた秘密を暴くべきか。ドイツ留学中の30台の青年――自分の異母兄かもしれぬ若者――の人生を狂わせる記事を書くべきか。ケイトは悩む。それこそ<知らなくていいコト>ではないのか。だがそれを敢えてするのが週刊誌の役割であろう。

 懊悩し、徹夜を重ねて、ケイトは乃十阿の心情に寄り添いながら、娘としての情愛を込めた、秘密暴露の手記を書く。印字した手記を乃十阿に見せに行く。彼が殺人犯でないことを明らかにする手記は<娘>から<父>への贈り物である。ケイトは<父>への想いが結晶した文章を見てほしい、<娘>から<父>への贈り物を受け取ってほしいと願うのだが、乃十阿はそれを見ようとしない。渡された文書は火にくべて焼いてしまう。乃十阿は我が身に代えても息子を守りたいのだ。彼は30年前に絶縁したきり<父>を知らず、知ろうともしない<息子>を守って、<父>を求め、その潔白を証明しようとする<娘>ケイトの心を踏みにじる。ここで真壁ケイトはEEのキャル――心をこめた、父への贈り物――インゲン豆の青田買いで儲けた15000ドルの真新しい紙幣――を父に拒まれ、自分で全部燃やしてしまった、あのキャルに重なる。


繰り返しの手法

 影響力の強い『週刊イースト』にはタレコミをする者もある。有名棋士の不倫について秘密情報を密告したのは意外にも棋士の妻だった。棋士と女優の不倫の恋を暴いて、社会的制裁を下し、夫が自分のもとに帰るようにしてほしい、と妻はケイトに依頼する。ケイトはそういうやり方では、彼は妻の許に戻らないだろう、となだめるが、彼女は聞かない。ケイトは事実を確かめて記事にし、時の人となった妻は集まった多くの報道関係者に自己の正当性を主張するのだが、棋士は戻らなかった。

 棋士の妻は記事が効果を上げなかったことでケイトを恨み、ある日、刃物を持って社を訪れ、ケイトを襲う。倒れたケイトをさらに刺そうと刃物が振りかぶられた瞬間、身を投げ出してケイトを守ったのは、尾高だった。

 尾高は重傷だったが、幸い、刃は心臓や肺臓を逸れていた。ここまで尽くされて、ケイトの身も心も、尾高に対して燃えないわけはない。だが、尾高の病室へ行く途中で、ケイトは尾高の妻が乳児を抱いて病室を出るのを見てしまった。ケイトは、そのまま引き返す。

 ケイトは自分が不倫の子であることも考える。母親の杏南は乃十阿との愛を真剣には考えず、ハリウッドへ映画の勉強に行って戯れの恋などをしていた。真剣に乃十阿と向き合ったとき、すでに彼には妻子があった。ケイト自身も、若いときから尾高の愛は感じていたのだが、もっと陽気な若者野中春樹に心を移し、結婚の約束をしていた。その野中は、ケイトが殺人犯の娘らしいと聞いて、婚約を破棄した。尾高はすでに杏南から、ケイトの父は乃十阿徹だ、と聞かされていた。その秘密は知った上で、ケイトを愛していたのだ。ケイトが野中に心を移したために、尾高はあきらめて他の女性と結婚し、子供も生まれている。ケイトは母の失敗を繰り返している自分に気づく。真実の恋に目覚めるのが遅く、気付いた時には、相手はもう手の届かぬ存在になっているのだ。

 EEでは<父による子の差別、拒否された子が父の愛と承認を求めて苦しむ>という主題が二代にわたって繰り返される。チャールズ・トラスクは、父サイラスが、自分が贈った高価なナイフより、異母兄アダムが贈った野良犬の仔を喜んだのを見て嫉妬し、アダムを殴って半殺しの目に合わせる。次の世代では、アダムの子(実はチャールズの子)であるキャルは、父のために用意した贈り物を拒まれ、拒まれた紙幣を焼いてしまった後、さらに復讐として、父に愛されているアロンに母キャシー/ケイトの実態を見せつけてショックを与える。絶望したアロンが志願兵になって、前線で戦死するとまでは予想していなかった。またそのショックでアダムが脳出血を起こし、死に至るとは全く想像していなかった。


シングルファーザー

 ケイトの愛を確かめた尾高は、妻と別れ、ケイトと結婚する決心を固める。妻も承諾し、愛し合う二人の前に障害はなくなったはずである。だが、妻が家を去るその日、尾高が家を覗くと、がらんとした家のなかで、赤ん坊が独りで泣いていた。妻は赤ん坊を置き去りにして、単身、家を出たのだ。ここでは尾高の妻が、EEにおいて、双子を出産後、赤ん坊を置き去りにして家を出、ケイトという名で働き始めるキャシーの役割を演じている。尾高は仰天するが、とりあえず赤ん坊を抱いて、会社に出勤。そして結婚できなくなったと真壁ケイトに告げる。真壁ケイトは結婚して二人で働きながら赤ん坊を育てよう、と提案するが、尾高は、それは違う、と拒む。

 それから1年あまり経ったろうか。ケイトは取材のために忙しく街を走っていて、ちょうど横断歩道を渡って来た、背の高い若い男に目を留める。男は長身を傾けて、よちよち歩きの幼い男の子の手を引きながら、可愛くてたまらぬようにその顔を見ている。幼児も愛と信頼がこぼれそうな笑顔で父親を見つめている。尾高だった。

 ここで父の愛を一身に受けているのは尾高の幼い息子であり、父に愛されているアロンに重なるとともに、乃十阿の幼い息子とも重なる。ケイトはここでも<父>に認められないキャルである。もちろんケイトは仕事ぶりが認められて編集長に昇進し、尾高の写真集も出版され、二人を気づかってくれた編集長は本社に栄転し、野中も新進作家として成功して、万事めでたく終わるのだが。

 EEを貫く<父と子>の物語はそもそも旧約聖書のカインとアベルの物語であり、根が深い。絶対的権力のある<父>に無視されたり、拒否されたりした場合、そこでは生きていけない。しかもカインが疎外される理由は明示されないのだ。『知らなくていいコト』の場合は、疎外されるカイン役を女性にしている。旧約聖書世界でも、日本でも、大切な秘密は一子相伝として一人の男から一人の男へと伝えられ、女性は疎外される場合が多い。<女性であること>はケイトが疎外される理由の一つにはなる。だが、男から男へと伝えられる秘事とは何なのか。<父>に愛された男は滅び、愛されない男はエデンを去って、その東、ノド(さすらい)の地に生きることになる。

 EEはスタインベックの「持っているものほとんど全部が入った箱」(献辞)である。自伝・叙事詩・私怨・メロドラマなどさまざまな要素が混在しているために、学者や批評家には批判され、作者自身も危惧したのだが、ベストセラーになった。ことにエリア・カザン監督、ジェイムズ・デイーン主演のワイドスクリーン映画『エデンの東』(1955)が好評で、今日でも記憶されている。今回、TVドラマ『知らなくていいコト』(2020)によって、このように大胆に自由な形で甦ったのは本当にうれしい。


<参考文献>

*Steinbeck, John. East of Eden. (New York: The Viking Press, 1952) EEと略。

**https://www.ntv.co.jp/shiranakuteiikoto/   



 
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